メーデーって言葉は広く知られてますが、その意味はと聞かれるとすぐに答えられますか?
また、メーデーは海外と日本ではその捉え方にも温度差があります。
国によっては、夏の訪れを感じ祝うという意味合いを持ちます。
日本では「労用者をもっといたわって欲しい」という捉え方をしています。
日本の場合には1905年に平民社の催しという形からこうした集会が実施されました。
なお、日本ではこの日は祝日になりませんが、その理由につても紹介していきます。
またその由来は、アメリカで始まった過酷な労働に対する要求にあります。
今日はこれらのことについて詳しく解説しますね。
メーデーの日本での意味
日本に於いても海外に於いても多くの国でメーデーが実施される日程もおおよそ5月1日です。
これは海外の事柄が大きく日本では「労用者をもっといたわって欲しい」という意味合いがあります。
こうして、現在の意味として労働に携わっている方々が、行動を起こす日などになっています。
海外の一部では禁止とされているのは、海外の多くの国で認知がされています。
一方でこのような決起集会などを実施してしまうと反政府勢力と見なされてしまい逮捕されてしまう国があるからです。
日程は世界各国でほぼ5月で統一がなされていて、日本やアメリカ、またフランスなどではこうしたメーデーは行われています。
このようなメーデー、という概念がない国などを除き、またはこうした運動が禁止されている国などを除き、5月がメーデーの基本の日となっています。
一方で実施をしたいと思っていても、政府から捕まることを恐れています。
または家族が巻き込まれることを恐れて、実施が出来ない国などもあります。
また同時に、上記のようにこうした概念がない国や知識がない方々がいる国も、決して少数ではありません。
発展途上国の方の中には、このような概念がない、といった方々も多いとされています。
また、近代的な国家でも禁止がされている、そのような稀有(けう)な国なども存在しています。
労働、という表現として使用されることが多いのは、日本などの東側の国に多いとされています。
逆に海外でもヨーロッパ諸国では、労働と表現されることは、上記のようにあまりありません。
海外ではメーデーは五月祭のことで「夏が来てくれて嬉しい」このような意味がある国もあります。
このように、元々の由来の言葉、「夏の訪れ」として使用している人の方が多いともされております。
なお、メーデーには遭難信号という別の意味もあります。
「メーデー・メーデー・メーデー」と3回繰り返すのは「誰か助けて」といったものも存在しています。
何度も連呼される際には、「ヘルプ」を表している曲、音楽などもあります。
これは日本のポップミュージックにも見受けられます。
そのため海外の曲、例えば洋楽などを聴くと「メーデー・メーデー・メーデー」と叫ばれているものがありますが、これにはこうした理由が存在しているからです。
メーデーが日本では祝日にならない理由
なぜ日本では祝日になるケースがないのかという点です。
「労働力を無駄にしてほしくない、あまり騒動を起こして欲しくない」という意味があります。
このため、祝日にはならないとされています。
日本の場合には、昔から「和」を重視しており、基本的に今の民主主義がもたらされたという歴史があります。
日本人はあまり、労働に関して文句などを言わない民族であるともされていますね。
その理由に、海外でよく聞く言葉に「日本人はとても働く民族である」「日本人は働き過ぎで真面目過ぎる民族だ」と言われる所です。
メーデーが日本では祝日にならない点は上記のように「日本人が持つ良い意味での真面目さ」があるとされています。
しかしながらも、実は経済効果などを狙ってメーデーを祝日にしようではないか、という動きも出ています。
それが、この日付と関連しているのですが、5月1日が基本として休みになればとても長いゴールデンウイークを手にすることが出来るようになります。
海外では上記のように「夏の訪れが嬉しい」という意味合いがあることから、祝日になっている国もあります。
ここで旅行、または近場などであってもショッピングを楽しむ日本人などが増えれば、そこから大きな経済効果が発展していきます。
そのため、日本政府の中でもこの日を祝いの日としてしまおう、という動きがある一方で、反対運動が起きていることも事実であります。
その理由は、一つには金融関連です。
銀行などの関連ではこちらを祝日にしてしまうと、あまりにも長期のゴールデンウイークになってしまう。
そのために、営業活動などが滞ってしまいます。
これは、会社にとって大きな損害となりかねない、とする事柄です。
銀行などの場合には、これは地方ごと銀行によっても異なる面はあります。
ですが、基本としてゴールデンウイークにも会社に出て欲しい、とする会社が多いのです。
もしも長期のゴールデンウイークが続くのであれば、営業活動、利益活動、お客さまが来られなくなってしまう日が相次ぐために純利益をもたらしにくいとされています。
ここが、他国とは異なるところですね。
同時に11月に「勤労感謝の日」が存在しています。
そのため、5月に勤労と関連するメーデーの日を休みにする必要性があるのか?
といった論議がなされているために、日本ではまだ休みにはなっていません。
特に上記の金融関連の方からの反対意見が多いため、という理由が大きいともいわれています。
メーデーの由来
元々の最大の起源はアメリカからとされております。
では、なぜここまでアメリカでメーデーと叫ばれるようになったのか、といった理由もあります。
歴史を紐解けば、元々のアメリカが発信源です。
それが日本にも伝わりヨーロッパの本来の意味合いである「夏に感謝をする」という意味合いです。
しかし、これとは違う「労働」に結びつくものになっていきました。
ただ、本来の「5月のお祭り」に関しも、雇う側と雇われる側の喧嘩を交互に行うようにしていこう。
交代して休もう、といった不思議な関連性が特化して、現在の形になったとされています。
またフランスなどでも同様に5月にこうした決起集会などが開催されています。
一日は24時間ですが、アメリカでメーデーが開始された際の要求とはなんなのでしょうか。
「労働に使用する時間は8時間を要求する、そして残りの8時間は休息をとるために必要とするラストの8時間は労働者が好きなことを行うための時間として要求を行う」というものです。
1880年代のアメリカでは「12時間から14時間」などの余りにも過酷な労働が当たり前となっていたために、こうしたメーデーが開始されたと言われています。
「夏の訪れが嬉しい」「夏が来てくれたことに感謝」これが、実際にはメーデーの起源であり由来であります。
ただ、これはヨーロッパなどの諸国ではこのようにも考えられている傾向が大きいです。
しかし、日本ではそうではありません。
よく5月などに決起集会などが実施されています。
日本の場合には同じ5月であっても、「夏の訪れに感謝をする」という意味合いでとらえている方は大変に少ないです。
どちらかといえば、「労働者に平等な賃金を」「労働を行う我々に見合った賃金を」などを大企業などの幹部などと渡りあうための集会、意味合い、などを持つというものになっています。
また、意外かもしれませんが、同じ海外でもアメリカでも日本と同じく「労働者にもっと良い給与を、賃金を与えよ」という意味などで知られています。
最大の古いメーデーの由来は、日本の場合には1905年にこうした集会が実施されました。
しかし、日本のように治安がとても良い状態で実施されるというだけではないです。
過去には逮捕者が何人も出ているほど過激なものも存在しました。
現在の日本でも多くの企業などで8時間での労働が主なものとされています。
ここから由来が出来たのではとも推測されています。
メーデーはいつから日本で始まった
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい)という人物をご存知でしょうか。
この人物は幸徳事件として有名であり度々、歴史の教科書などにも名前が出る人物です。
この人物が結成した会社が平民社という会社であります。
メーデーが日本で始まった最もな先駆けはこの平民社からのスタートであるとされています。
なおいつこのようなメーデーが実施されたのか、に関しましては1905年となっています。
もともとは、平民社の催しという形からメーデーが始まりました。
そして歴史は動き、その後には1906年に横浜曙会が実施をしています。
ただこうして始まった歴史があります。
日本政府が当時、メーデーを禁止、かなりの厳重警戒と逮捕などを実施するようになりました。
こうして、戦後である1946年まで、禁止令が厳しくなっていきました。
上記の点についてですが、やはり幸徳事件などにもありますように、幸徳秋水が労働に関してなどの考えなどを持っていたことです。
同時に戦前の日本でも「蟹工船」などに見られるようなプロレタリア文学などがありました。
これが民衆の中で、労働に基づくことに対しての、対等な賃金が欲しいという動きはありました。
しかし、「国のため」などといった事柄が掲げられたため、こうした労働をさぼるように見受けられてしまうことは、国にとっては悪質と判断がされていました。
戦後まで動きが取れない思想家の方がいたという歴史が存在しています。
「蟹工船」などはとても有名なプロレタリア文学です。
こちらも「労働」に関するものであり政治批判などを持っていました。
名作を日本に残した小林多喜二もこの「蟹工船」が当時の日本政府への批判であると痛烈に政府から批判されてしまい彼は逮捕され亡くなってしまったという恐ろしい過去があります。
当時は、民主主義などはなく国が言えば全てが国のため文句などは決して許される世界ではありませんでした。
そのため、こうした「労働に関して、平等さ、平等な賃金を与えて欲しい」というしっかりとした事実を書いた書物であっても、政府にとっては大変に厄介なものでした。
こうした理由から、プロレタリア文学を含む、決起などを引き起こす可能性があるメーデーは、厳密に1936年に禁止となりました。
実施した者は厳罰に処する、という理由で、再復活がされた背景には大変に多くの年月がかかっております。
始まりは早かったものの社会悪という概念から許されなかった時代がとても長く続きました。
結び
メーデーの意味についての記事はお役に立てたでしょうか?
その日程や日本では祝日にならない理由や由来やいつ始まったのかについてもご理解いただけましたか。
この章では、ここまで書いてきたメーデーの意味についての要点をまとめていますので活用していただけると幸いです。
メーデーの本来の意味ですが、「夏が来てくれて嬉しい」ということです。
これは海外の事例が大きく日本では「労用者をもっといたわって欲しい」という意味合いから、独自の意味として労働に従事している人たちが、行動を起こす日などとされています。
また、海外の一部では禁止、とされるのは、海外の多くの国で認識がしているのとは裏腹にこうした決起集会と考えられるものを実行してしまう。
これを反政府勢力といった立場にされてしまう国があるからです。
なお、メーデーには遭難信号という別の意味もあります。
「メーデー・メーデー・メーデー」と3回繰り返すのは「誰か助けて」という内容も存在しています。
何度も連呼される際には、「ヘルプ」を示している曲、音楽であったりもします。
これらは日本のポップミュージックにもあります。
メーデーが日本では祝日にならない理由は、「労働力を無駄にしてほしくない、あまり騒動を起こして欲しくない」という意味があります。
そのため、祝日にはなるようなことがないといわれています。
実は経済効果というものを狙ってメーデーを祝日にすべきではないか、というような流れも見られます。
しかし、こういった動きがあるのに対して、反対運動が起こっているケースも現状です。
その理由の代表例としては金融関連、たとえばですが銀行関連です。
こちらを祝日にしてしまいますと、とんでもなく長期のゴールデンウイークとなってしまうのでに、営業活動などがはかどりません。
仕事は忙しくて暇がないと思ってる方は多いと思いますが、それに見合う代償が少ないという声も多いですね。
日本人は、特に師走の時期にはこの傾向にありますね。
11月に「勤労感謝の日」があることも関係しています。
このため、5月に勤労と関連するメーデーの日を休みに変更する必要性があるのか、などの議論が行われていることが原因でもあります。
メーデーの由来は「夏の訪れが嬉しい」「夏が来てくれたことに感謝」これが、メーデーの始まりです。
ヨーロッパなどの諸国ではこういった傾向が高いというわけです。
しかし日本では、「労働者に平等な賃金を」「労働を行う我々に見合った賃金を」などを大企業などの幹部などと渡りあうための集会という意味合いが主要です。
これは、同じ海外でありましてもアメリカは日本と同じように「労働者にもっと良い給与を、賃金を与えよ」という意味になるのです。
メーデーはいつから日本で始まったのかに関しては、幸徳 秋水(こうとく しゅうすい)という人物が結成した平民社という会社からです。
いつこうしたメーデーが実施されたのかにつきましては1905年ということです。
もともとは、平民社の催しという形からメーデーがスタートしましたが、歴史は動き、その後には1906年に横浜曙会が実施をしています。
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