フジコヘミングの若い頃
フジコヘミングさんの若い頃の生活は、けっして順風満帆とはいかなかったようです。
幼少期の彼女は、6歳から母親であるピアニストの大月投網子(おおつきとわこ)さん(明治36年生まれ)にピアノを習います。
裕福だった大月家には当時めずらしいピアノがありました。
このとき大月投網子はブリュートナー製の製造番号66374の中古ピアノを持っていました。
中古とはいえ、当時の価格で4300円という高額なピアノです。
そして10歳を迎えたときには、ロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事します。
<おとなBEST>フジコ・ヘミングの奇蹟~リスト&ショパン名曲集
彼は、母親もドイツでピアノの教えを受けた画家である父親のジョスタ・ゲオルギー・ヘミングの友人でもあります。
母親、投網子ですがフジコヘミングさんにピアノを教えるときには、かなり厳しい指導方法だったようです。
子供時代は、明けても暮れてもピアノの練習という日々が続きます。
そのため、遊びにも行けなかったということです。
幼少期のフジコヘミングさんは小学3年生にもかかわらずラジオに生出演しています。
このときすでに、天才少女と注目されています。
現在の大活躍の支えとなったのもきっとこの幼い少女からは想像できない天才的な幼少期に授かったものが大きいのでしょうね。
フジコヘミングの若い頃の経歴
フジコ・ヘミングさんは1945年の2月に、岡山に家族と一緒に疎開しています。
その年の4月には岡山県の高等女学校に入学します。
終戦後は青山学院高等女学部(現:青山学院中等部)に転校しています。
フジコ・ヘミングさんは高等部在学中の17歳のときにデビューコンサートを叶えています。
1953年に新人音楽家の登竜門とされる第22回NHK毎日コンクールに入選しています。
これは、東京藝術大学音楽学部在学中のことです。
その後も彼女の躍進はとどまることを知らず、第22回NHK毎日コンクールにも入選します。
東京藝術大学卒業後には、日本フィルハーモニー交響楽団など多くのオーケストラとも共演しています。
そんな輝かしい功績を築いてきた彼女は、次にピアノ留学をめざすことになります。
これについても、なんと国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)へ留学を実現させています。
このとき無国籍者とされたフジコさんです。
しかし、駐日ドイツ大使の助力から、赤十字から難民ということで許可されての留学となっています。
卒業してからは、母からのいくらかの生活費の送金と奨学金でどうにか生活するといった生活をしています。
そのとき彼女は作曲家で指揮者のブルーノ・マデルナに才能を見受けられ、彼のソリストとして契約していました。
このような災難が生じて、ようやくものにしたビッグなチャンスを逃してしまうという辛い思いもしています。
フジコ・ヘミングの若い頃の経歴や暮らしぶりはこのような波乱万丈な生い立ちがあります。
フジコヘミングの年齢は何歳?
フジコヘミングさん、日本での名前は大月 フジ(おおつき フジ)の年齢は1932年12月5日生まれの87歳(2021年現在)となります。
彼女の日本名は、イングリット・フジ子・へミングといいます。
1932年にベルリンに生まれ、その半生を東京で過ごしています。
そんな彼女も若い頃から今のような有名ではないです。
フジコヘミングさんは、なんと年齢が60歳をこえてから目が出てきた遅咲きのピアニストです。
日本や海外で活躍するフジコヘミングは、60代になってから注目されるようになった人気のピアニストとしても有名です。
フジコヘミングの現在の活動と人気の理由
フジコヘミングさんの現在の活動ですが、今でも時々、テレビをはじめとしたメディアで見かける機会もある人気ピアニストです。
またCDやDVD、ビデオが発売されているのでそれらを鑑賞することもできます。
数々の苦難を乗り越えてピアニストとなったその生きざまや、個性的な佇まいに魅力を感じている人も多いのではないでしょうか。
とはいえ、メディアを通してみるのではなく、彼女のコンサートやリサイタルに行ってみたい。
直接その音色を聞いてみたいと考える人は少なくありません。
奇跡の音色と呼ばれるピアノの奏者で人気のフジコヘミングは現在でも国内や海外の各地でピアノ活動を続けています。
具体的な生年月日は明かされていませんが、既に80代になっています。
しかしフジコヘミングさんは現在でも多くのコンサートやリサイタルをおこなっています。
直接演奏を聴きに行く機会を見つけることはできるのではないでしょうか。
2020年の3月にはフランスのパリにて、ソロコンサートが行われる予定となっています。
歴史ある「コンセルヴァトワール劇場」がその舞台で、映画撮影のためのカメラも入ることになっています。
今後その映画もどこかで見られることになるのは、ファンにとっても楽しみな点でしょう。
さらに4月に入って以降にも東京や福島、静岡、それに愛知など、数多くのコンサートやリサイタルが行われる予定です。
特に5月には9公演も行われる予定であるなど、精力的にピアノ活動をおこなっています。
その後も6月にもいくつものコンサートが開催される予定となっています。
埼玉県内の人にとっては訪れやすい西武線沿線の音楽ホールです。
東京都在住の人にとっても比較的気軽に訪れることができる立地です。
近郊に住んでいる人にとってはフジコヘミングの演奏を生で聴くことができる良い機会といえるでしょう。
このようにフジコヘミングさんは現在でもピアノ活動を精力的に展開してます。
直接演奏を聴きに行きたいという人は、近隣のエリアで行われる機会に出かけてみてはいかがでしょうか。
現在の彼女があるのは、やはり若い頃に培ったピアノの技術と苦しい生活や身体のハンデを乗り越えてきたことで熟練されてきたものでしょうね。
1995年に日本へ帰還し、母校東京藝大の旧:奏楽堂などでコンサート活動をしています。
これは、母、投網子さんが亡くなった以後のことになります。
フジコ・ヘミングさんが現在のような人気ピアニストとなってきたきっかけはテレビ出演でした。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ?あるピアニストの軌跡?」が放送されてからです。
この放送のときの反響が大きかったこともあり、フジコブームが起きています。
そうして、発表されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例ともいわれる30万枚のセールスを発売後たったの3ヶ月で記録した人気の作品となっています。
また、2003年には彼女の半生がドラマ化され注目を集めました。
デビューアルバムとなるクラシックCDも好評で100万枚でした。
ですが、ドラマの放送ののち、番組内で採用されたいくつかのCDの人気が出て売り上げが急激に伸び、その上さらに100万枚を超えています。
女優の菅野美穂さんが主役を務めるこのドラマの楽曲はもちろんフジ子・ヘミングさんです。
フジコ・ヘミングさんの最新のコンサート情報にもあるように全国各地で精力的にツアーを開催しています。
最新コンサート情報(2021・2022)
10月22日[5/11振替公演]東京文化会館
10月29日[北海道]札幌コンサートホールKitara
11月13日[東京]ルネこだいら
11月19日[東京]練馬文化センター
11月23日[山形]荘銀タクト鶴岡
11月27日[東京]J:COMホール八王子
11月30日[5/5振替公演]ヤマハホール
12月 3日 [東京]紀尾井ホール
12月 7日 [東京]東京オペラシティコンサートホール
2022年
1月9日[5/8振替公]立川ステージガーデン
ファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト誕生~」の放送と再放送はいつ
ピアニストのフジコ・ヘミングさんの半生をドキュメントとした番組がNHKG(総合)で放送されます。
初放送日と時間は、いつかというと2020年2月24日(月) 午後7時30分(73分)となります。
また再放送日と時間は、いつかというと2020年2月28日(金) 午前0時55分(72分) となっています。
ファミリーヒストリーの出演者は下記となります。
フジコ・ヘミングさん本人がゲストとして招かれています。
司会は、今田耕司さんと池田伸子さんでの進行となっています。語りは、女優の余貴美子さんが務めます。
フジコヘミングの詳しいプロフィールのまとめ
奇跡のピアニストと呼ばれるフジコヘミングは、その人の心を打つような演奏が人を惹きつける魅力であることは言うまでもありません。
しかしその彼女が持つ雰囲気や風貌、人柄にも不思議な魅力を感じるという人は多いのではないでしょうか。
フジコヘミングのプロフィールの中でも、その生い立ちは独特なものです。
フジコヘミングの父親の経歴の詳しいことは知られていません。
画家で建築家でもあったロシア系のスウェーデン人のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングです。
幼いころ、フジコヘミングは両親と日本に移住しました。
それからは母親と弟と一緒に東京都内に住むことになったといういきさつがあります。
また日本人の母親の経歴はピアニストであったことが知られています。
母親にピアノを教わったことが現在のようなピアニストになる原点だったといえるでしょう。
小学校の3年生の時には、ラジオに出演し天才少女と呼ばれたこともありました。
16歳の頃には中耳炎を悪化させたことから右耳の聴力を失いました。
ですが、17歳の高校生の時にはデビューコンサートもおこなっています。
しかし大学を卒業後に留学をしようとしたところ国籍がないことが判明します。
難民としてドイツのベルリンにあった音楽大学に留学をすることになりました。
さらにヨーロッパで過ごした時代には、左耳の聴力も失ってしまいます。
現在では左耳は4割程度の聴力が回復しています。
当時は一度はキャリアを絶たれることとなってしまいました。
その後ピアノ教師などをしながらコンサートをおこない、1995年に母親が亡くなったことをきっかけに帰国しています。
フジコヘミングは、テレビ番組で特集されたことからブームとなり人気を集めるようになりました。
まお、弟の経歴は中学生のころから舞台に出演するようになったのが特徴です。
俳優座の養成所を経て国際プロや劇団三期会などに所属していたことがあります。
このようにフジコヘミングは芸術一家に生まれ、波乱の多い人生を送り、現在のような唯一無二の存在となった人物です。
フジコヘミングのピアノの評価の真相?
フジコヘミングの演奏の評価では感動、素晴らしいという意見がとても多いです。
フジコヘミングといえば、「ラ・カンパネラ(鐘)」というピアノ曲の演奏が彼女を今の人気ピアニストへと押し上げています。
そんなこのピアノ曲を引くフジコヘミングさんの演奏についての評価はなんと大きく別れています。
つまり、中にはピアノの演奏が下手だという酷評が出ているのも事実のようです。
その理由としてまず挙げられるのが、譜面から外さないように演奏をこなしていないのではということです。
これはつまり、譜面から外さないように演奏することが、なにより条件となるということを言っています。
彼女の演奏はというとなんとも独創的で、そのテンポもかなり違います。
しかし、そんな彼女の演奏に魅力を感じるファンも多いようです。
このような奇抜な演奏方法と先の評価は少し違うような気がします。
それも、フジコ・ヘミングさんの演奏や人間性の魅力なのかもしれませんね。
なお、音の高低や長短の変化の相次いだしっかりとしたテンポでピアノを引くこともあるといいます。
フジコヘミングの若い頃|まとめ
フジコヘミングさんの若い頃は、どのような生い立ち?
ピアノの心得がある方なら一度は彼女の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
高齢となった現在でも活動は続けており、そんなフジコ・ヘミングさんの音楽の愛好者も多いです。
今でこそ『魂のピアニスト』と称される彼女ですが、その生涯は波乱万丈のようです。
フジコヘミングさんの若い頃のくらしは、けっして順風満帆とはならなかったそうです。
幼少期の彼女は、6歳からお母さんでピアニストの大月投網子さんにピアノを習います。
若い頃のフジコ・ヘミングさんは小学3年生でありながらラジオに生出演し、天才少女と評価をえています。
若い頃の経歴や生涯の様子はこういった波乱万丈な生い立ちがつきまといます。
フジコヘミングの演奏の感想では、感動、素晴らしいという評価は非常にたくさんあります。
彼女が注目を集める理由は、あのお決まりの辛口の名言にもあるようです。
これも、フジコヘミングさんの演奏や人間性がファンを惹きつける力の一つだろうと思います。
フジコ・ヘミングさんの演奏の評価では、感動、素晴らしいという評価は非常に多いです。
人気ピアニストの彼女ですが、その一方で酷評もあるのも事実です。
日本での名前は大月 フジ(おおつき フジ)の年齢は1932年12月5日生まれの87歳(2020年現在)です。
コメント