【もののけ姫の伏線】アシタカの腕のアザは消えたのか?
アシタカの腕のアザですが結論から言えば消えませんでした!
ここからは、その理由となる伏線を順を追ってお話していきますね。
アシタカの住むエミシの村に突如として現れたタタリ神!
元は、シシ神の森に住むナゴの守という名のある巨大なイノシシの神様でした。
その容姿はドス黒い紫色の触手に覆われた巨大な毒蜘蛛のような姿です。
猛然と襲い来るタタリ神から村を守ろうと、アシタカはタタリ神の目に矢を放ち苦闘の末に打ち倒したのです。
その際、アシタカの右腕にグルグルと巻き付いたタタリ神の触手により不吉な紫色のアザが出現します。
一族の巫女ヒィ様から、その腕のアザは「いつか命を奪う呪い」だと告げられます。
アシタカが倒したのはタタリ神とはいえ立派な神様。
神を殺した人間を置いておくと村に災いが起こるとの言い伝えもあります。
そのため、アシタカは慣れ親しんだ村を追われるようにしてひとり西に向かい呪いを解く旅に出るのでした。
この「もののけ姫」は室町時代頃、中世日本で人間と神々や自然との関わりを描いた作品です。
公開当時は社会現象となるほど大きな話題となりました。
もののけ姫とは、このように説明不要と思える誰もが知る作品ですね。
アシタカがタタリ神にかけられた呪いと腕のアザの関係
ここではアシタカがタタリ神にかけられた呪いと腕のアザについて考えてみようと思います。
まずは時代背景ですが室町、いわゆる戦国時代であると公式にも言われています。
しかし、この作品にはあらゆる時代のエッセンスが投入されているように思います。
室町時代頃の日本と言えば、まだ占いや呪いや祟りといったものが日常として身近に当たり前にあります。
占いや呪いや祟りなどが、当然のごとく信じられていた時代なのです。
また、古代日本では占い師である陰陽師は律令制下において官職の1つでした。
日本には古来から「八百万の神」(やおよろずのかみ)が万物に宿っているという考えがあります。
山には山の神様、川には川の神様、石には石の神様といった具合にあらゆる物に神が宿っているという考えです。
鹿や蛇など動物を神様と崇める歴史も各地に多く存在しています。
人間に対してその神威を示すときに暴力的な形がとられることがあります。
いわゆる「荒ぶる神」となり、祟りや呪いと呼ばれるものとなって出現するのです。
「やさしい神様」「恩恵をもたらしてくれる神様」だけではないのです。
「人間に害を及ぼす神様」「祟りや呪いをもたらす神様」という怖い神様としての側面をこの「もののけ姫」は描いているのです。
アシタカの本名が変わった理由と腕のアザの関係
もののけ姫の主人公アシタカの本名は「アシタカヒコ」と言います。
ヒコ(日子)には神様の子という意味があります。
神を殺めてしまった後はヒコを名乗らず「アシタカ」と名乗るようになります。
ここからも神様を敬いながらも恐れていることが伝わります。
アシタカヒコは村を守るために神殺しというタブーを犯します。
そのため、アシタカとなって村を追われる事になります。
冒頭で神様は決してやさしいだけではないと強烈に伝えてくるのです。
呪いをかけられた腕のアザはやがて全身に広がり死に追いやると言われます。
そればかりでなく呪いを受けた者はその潜在能力を強制的に引き出され暴走するという力も持っていました。
野武士との戦闘の際にこの力は遺憾無く発揮されます。
牽制(けんせい)のために放った矢が相手の両腕や首を吹き飛ばすほどの威力を持ったのです。
しかしその力を発揮するとアザが急速に広がるという事にも気付きます。
強靭な肉体となり強くなる力であれば歓迎したいところですが、
生命を縮めるという「諸刃の剣」でもあるのです。
アシタカとサンとエボシと腕のアザの関係
呪いを解くため西に向かったアシタカは、道中で山犬に育てられた「もののけ姫」と呼ばれる人間の娘「サン」と出会います。
もののけ姫といえば、アシタカとサンのその後はどうなるのかも気になるところですね。
こちらについては下記の記事で詳しく解説しています。
そして鉄を作る村「タタラ場」に行き着くのです。
ここでアシタカは自分にかけられた呪いの原因を知ることとなります。
神に対して敬う気持ちを持たず自身の行いに反省も謝罪もしないエボシに対してアシタカは憤り(いきどおり)を覚えます。
しかし、村の弱者たちの生活を守るために戦っている彼女(エボシ)は村人たちに生きる希望を与える女性でもありました。
それを知りアシタカは、行き場のない気持ちを抱くのでした。
シシ神(デイダラボッチ)の正体と腕のアザの関係
劇中で「シシ神」という神様が度々登場します。
昼は人間の顔を持った鹿の姿をしており、夜は半透明で青い光を宿したデイダラボッチという鹿のような巨人の姿に変わります。
まさに、生命そのものと呼べる神様です。
その身体には様々な生物の特徴が見られ、自然を体現していると言えるでしょう。
生と死を司っているように思えるシシ神は強い存在感を放っています。
サンなど森に生きる者たちが最も敬い恐れる人知を超えた存在です。
人間を憎むサンは山犬たちと共にタタラ場を襲います。
しかし、エボシをはじめ大勢の村人たちがそこに立ちはだかります。
それを見守っていたのがアシタカでした!
このとき、アシタカの腕のアザと呪いが極限まで力を発動していきます。
暴走するアザはまるでアシタカの身に潜み好機と見るやその体を借りて憎き人間たちに復讐をするかのようです。
そして、サンを守るためにタタラ場を後にするアシタカは村の女から腹を銃で撃ち抜かれてしまいます。
深い傷を負ったアシタカを今度はサンが助けようと、シシ神の前に連れて行きました。
シシ神はアシタカの腹の傷を見ると癒し治してくれたのです。
それを見たサンはアシタカを生かすと決めるのです。
タタリ神になったイノシシの神からの「憎しみを背負って生きろ」という思いを感じ取ったのか?
シシ神はアザをあえて残したようにも思えます。
エボシがシシ神を退治したい理由
その頃、タタラ場ではシシ神殺しを実行する動きが活発となっていました。
人間との最終決戦を行おうとするイノシシの大群が押し寄せ大戦争が始まります。
アシタカはエボシに戦いをやめて村に帰るよう伝えます。
ですが、エボシはかまわずシシ神殺しに向い、遂にシシ神の首をとってしまいます。
首を奪われたシシ神の体から不気味な液体が大量に飛び散ります。
それに触れた者たちは死に、木は枯れてしまいました。
液体は津波のような勢いで山を埋め尽くし森は枯れ果て、タタラ場も壊滅してしまいます。
神殺しのタブーをまたも犯した人間たちへの恐ろしい祟りや呪いとも見えます。
アシタカの腕のアザが消えない理由
サンは森が死んだと絶望し人間に対する憎しみを爆発させます。
しかし、アシタカはまだ望みはあるとサンを説得し二人で首をシシ神に返すのです。
首を取り戻したシシ神は、朝日を浴びると同時に地に倒れて飛び散るように消えてしまいます。
祟りや呪いが全て晴れたかのように感じる場面です。
ただし、消えたかに見えたアシタカの腕のアザがうっすらと残っている事に気付きます。
完全に消えていないことで呪いは解かれていないのでは?
との見解もありますが、人間が同じ過ちを繰り返さないよう戒めとしてアザだけが薄く残されたのだと思います。
こういった人間としての尊い感情をいつまでも忘れずに大事にして欲しいという監督のメッセージが最後にうっすらと残されたアザから感じることが出来ます。
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